「旧大原家住宅」は国指定の重要文化財で、江戸時代後期から大正時代にかけて順次整えられたもので、明治初期にはほぼ今の姿になりました。 1795年に主屋が着工、その後座敷部分が増築されました。その先には広い庭があり、主屋の裏には蔵が建ち並んで防火の役目も果たしています。
主屋は本瓦葺き、厨子(ずし)二階建てで、倉敷窓・倉敷格子を備え、蔵は土蔵造りで外壁は腰に瓦を張りつけ、『なまこ壁』で仕上げられています。
「旧大原家住宅」は倉敷の町並みの景観を特徴づける建物で、倉敷独特の美しい町家建築です。
江戸幕府の直轄領(天領)だった倉敷では、「古禄」と呼ばれる世襲勢力が栄えていましたが、江戸時代後期には新田・塩田開発と倉敷川の水運の利を生かして「新禄」という商人の新興勢力が台頭し、大原家は綿仲買商人として大橋家と共に栄華を極めました。
明治時代になると大原家は倉敷紡績(クラボウ)の設立に参加し、後に財閥ともいうべき発展を遂げ、倉紡中央病院(現在の倉敷中央病院)や大原美術館など数々の施設を建設しました。